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やじきた茶の味はわからない

(例の都議会の野次の話を書きかけて途中でほっといたら、いつの間にか野次の犯人もわかってしまった。明らかにタイミングは逸したけど僕の原稿はいつも手遅ればかりだし、けっこう長く書いてからほっといたので、全部ボツるのはちょっともったいない気がして、あえて書いた当時の原稿のまま、載せる。確かこれを書き始めたのは先週末くらいだったということをご考慮の上、読まれたし)

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頭はもう仕事場の椅子に座った5時間ほど前からずっとぼんやりして、何か考えようとしてもとりとめもないことばかり。なにしろ午前3時半だ。こんなに起きてるのにまだ仕事は1枚も進まず、相変わらずネットを見てうだうだしたり、ソリテアやってふがふがしたりしている。

 

ネットと言えば、最近僕はようやくツイッターの使い方を少し覚えてきて、フォローというものも多少はすなるようになってきた。ただ、フォローした相手によっては頻繁に発言する人もいたり、なんだっけ、リツイートたらに熱心な人もいるから、しばらく見てないと、やたら対人が増えてて読む前に疲れてしまうこともある。だもんで原則僕の対太は、自分の発言だけが表示される画面をメインにしてしまった。これで落ち着いたはいいが、問題は、いつまで経っても発言が増えないことくらいか。多分あのおもちゃももう僕は飽き始めてんだろな。

 

ここ数日のツイッターで僕がフォローしてる人たちの発言で盛り上がってるのが、都議会の野次問題。これは昨日か一昨日、僕もテレビで見た。例の女性議員が発言してる最中に飛ばされた野次が、セクハラであるとか性差別であるとか、ま、とにかくいろんな攻撃の的になっていて、対太の上でもずいぶんかまびすしい。

 

わざわざこの話が気になったのは、とにかくどうもテレビがこの話題を取り上げたのは、対太で騒ぎがどんどん盛り上がってきてからではないかという気がしたからだ。

 

最近のマスメディアの見事な金玉喪失感を表わしているのが、雁屋さんの「おいしんぼ」騒動でもそうだったけど、報道側はまずネット上の反応、いわゆるネチズン(うへっ、あったよなこんな言葉)の動向を見定めてから、ああ、これ叩けそうだという感触を得ると、安心して一緒に対象を叩くという性向。

 

今度の野次騒動は、最初僕が思ってたよりも時間が経つに連れてだんだん大ごとになっていってて、これは報道側がネットにおける「世論」の動向を見定めながら動いていたと考えればつじつまが合う。だってマスコミは普段から議会だの国会だの取材してる人とかチームがちゃんといるわけで、そんな人たちにしてみれば、議会で日ごとどんな野次が飛んでいるか、もう日常茶飯としてご存じなはず。

 

で、恐らくは例の野次なんか彼らが普段接している野次に比べれば遙かにおとなしく品が良い方の部類ではないかと思われるのに、通例、そんな野次の話題が普通の政治マターのニュースとして僕らの目に触れることなど、本当に数えるほどしかないからだ。つまり議会記者にとって基本、あの程度の野次じゃニュースバリューがないと判断される程度のものであったに違いないと、僕は思う。

 

だって僕の知る限り、当事者の都議会では抗議の動きもちょっとタイミングが遅い。もしあれを女性に対して投げかける言葉として本当に許せないという認識を、本人始め、彼女の属する政党、あるいは野党、あ、もう野党と言っちゃったよ()……ま、十中八九、ああいうものの言い方をするのは自民系の議員に間違いないという揺るぎのない偏見を僕は30年くらい前から持ってるからいいけれど、とにかく言われた側に属する政党会派の人々がしっかりその認識を持っていたならば、彼女の質問はそこで即座に中断され、当該の野次を言った本人あるいは言わせた政党に対する抗議の意志が明らかにされたはずだからだ。

 

要するにあれは、明らかに最初は日常よくある議会内の、主には自民系の人間が発する野次の一つくらいにしか認識されてなかった。もし対太などの即時性のあるメディアであの問題が祭りにならなければ、少なくともNHKまで報じるようなニュースにはならなかったかもしれない。

 

その意味では普段はネットの中だけで「マジョリティ」とされる意見など頭から信用してない僕のような人間も、今回ばかりは意外とまともな意見を持つ人も多いのだなと、少し驚いてしまった。本当にね、最近の僕はこの国の政治的将来は絶望しながら見ているくらいでちょうどいいと思い始めてるから、男女問わず、例の女性議員に対する野次に本気で怒ってる(らしい)人々の書き込みを見ていると、へええ、ネットにもまだ、こんなにまともな感覚を持ってる人が発言することもあるんだと、意外に感心してしまう。

 

その上で正直に告白すれば、僕はこの騒ぎの盛り上がり自体には正直戸惑っているところもある。はっきり言えば、僕はあの野次の内容を聞いてみれば、そんなに問題になる発言とも思えなかったからだ。ここはちょっと誤解を招きそうな表現なのでもう一度かみ砕いて言うと、あの野次自体は女性に対する言葉として失礼なものだとも思うが、なんか発言した奴を見つけ出して議員を辞めさせろなんて意見がネットに出たりしているのを見ると、ちょっと無駄なエネルギーを使いすぎじゃないかと感じ始めている。

 

言った人間が(多分)自民系の議員だとするなら、ここの「自民」という部分は別に他の「惟新」とかその手の名前にいくらでも変更可能だが、だったらしゃーないじゃん()というのが僕の率直な感想。(多分)自民の議員ならそういうこと言う連中も多いだろうし、そういう連中だと承知の上で都民はその人たちに投票して当選させてきたはずだ。少なくとも東京都はそういう土地柄なんだろ? でなきゃ石原慎太郎みたいのが何度も知事に選ばれるわけがない。

 

だから今回の都議会の野次発言が、ネットだけならともかくテレビでまで連日扱われるようなネタになってること自体は、少し不思議に思える。マスコミがこれを問題だと本当に認識してるなら、それこそシンタロウでもシンゾウでもただのタロウでも、いままでにもっと問題にされるべき発言はいっぱいあったろうに。

 

マスコミは彼らの発言の裏に隠された本音、つまり差別主義や権威主義や歴史修正主義の匂いを確実にあぶり出し、その危険性を広く国民に知らしめようとしてきたか? それをしないで都議会の野次の犯人捜しをしてるなら、単に都議会程度の議員ならいくら叩いても大丈夫だと高をくくったからにしか思えない。相手を見てペン先を変えるならそれはジャーナリズムでも何でもない。おかげでこの国はこれからどうなっていくことか。とりあえず絶望的に将来を見るようになった僕は、この程度の野次に目くじらを立てなくなったほどには神経がもう、一部死滅しかけている。

 

林の木の下に落ちた一枚の枯れ葉が気になるからと、ちりとり持ってその枯れ葉を拾いにいってる間に、頭の上の森の葉は、どれも枯死しかけていることに気づかないようなものだ。

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