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今年も一人、逝く夏に思う

昨日の朝、八幡を6時50分頃の電車で、妻は島根の実家に向かった。

 

仕事の進まない僕は例によってこの夏もお留守番。まあ、男にとって妻の実家ほど落ち着かない場所もないので、仕事が遅れているのはいい口実なんだけど、もう8月が終わろうとしていることに気づいてしまえば、いい口実だなどとのんきなことを言っていられる場合ではまったくなくなってる。もっと焦れよ。

 

昨夜の8時頃から十時間あまり、このリビングで座卓にほとんど座りっぱなし。二階の仕事部屋には、ちゃんと椅子と机とデスクトップが置かれているのだが、昔『呪怨』を見て以来、一人でいるときは夜中にあまり二階に上りたくなくなった。ので、座卓にノートパソコンを置いてもっぱらこっちの方で仕事している。

 

妻がいないと、たとえばマドラー一つ探すのも苦労する。てか、夜中に妻への罵りの言葉を吐きながらあちこち食卓の引き出しなどひっくり返してみるのだが、マドラーが見つからない。仕方がないので割り箸でグラスを混ぜようと割り箸を探してみたら、その割り箸も見つからなくなってる。確かにどこかに余った割り箸が大量に保管されているはずなのに、いったいどこに隠されているのだそれはっ!? という暮らしを、僕は妻が家を空けるたびにする羽目になっている。

 

一昨日の夜、東京の古い友人の女性から電話あり。

 

滅多に電話なんかかけてこない人なので、着信表示にその名を認めた時点で何となく嫌な予感はしたのだが、やはりそれは古い知人の死を報せるものだった。

 

特に親しいという間柄でもなかったが、カメラマンだったその彼とは編集者時代の同僚を介して知り合い、その3人で何度か神宮へ阪神ヤクルト戦を見に行った記憶がある。これももう30年くらい前の話だ。四谷弱虎会…とは、確か僕が思いついたそのグループの名前で、3人しかいない弱虎会はその名が表わす如く、そう熱心な活動をするでもなくいつの間にか自然消滅していた。

 

ずいぶん久しぶりにその会を思い出したのは、東京を離れて10年以上経った一昨年の暮れ、突然彼からこのFBにメールをもらった時だ。誰かの繋がりで僕の名前を見つけたのか、友達申請と同時に「お久しぶりです。四谷弱虎会も最近はまったく活動していません。機会があればまた一緒に野球を見に行きたいものです」というメッセージが送られてきた。

 

僕は申請承認と同時に「ああ、またぜひぜひ」とかおざなりな返事を送って、そうしてそれきりになった。いま確かめてみたら、それ以外に彼とやりとりした記録はない。ちなみに、FB上にはまだ彼のページは残っている。妙な気分だ。彼はもう亡くなったことを知っているのに。

 

このあと、弱虎会のもう一人のメンバーとかわした短いメールで知ったところによれば、東京を去って10年以上もやりとりの途絶えていた僕にメールを出してきた頃、彼はすでに自分の病気を知っていたようだ。彼がFBなどを利用して、連絡を取ろうとした相手はきっと僕だけではなかったろう。それはいったいどんな気持ちだったのだろうか。

 

FBなどを利用してると、ときどき古い知人や、それこそ若い頃はよくつるんでいた相手の名前を見つけることもあるが、基本的に僕は自分から接触しようとしたことはあまりない。一つにはまあ、めんどくさいという気持ちもある。

 

またいくら昔仲が良かったにせよ、数十年も連絡取り合わなかった相手というのは、たいていの場合、その人物がいまの生活の中になくても用は足せているということであり、いまさらどんな話をすればいいかよくわからない、ということもある。

 

だから、いきなり昔の知り合いにFBで「友だち申請」を送られて、仕方がないから「友だち」になったとしても、向こうから何か言ってこない限りこちらの方から積極的に何か「どうしてたぁ?」とか「元気ぃ?」なんて声はかけない。考えてみればそもそも最近は、「友だち申請」自体、知らんふりしてるな()。まあ、何か挨拶の一言でも添えてあれば、さすがに無視もできないけどね。

 

彼が僕に連絡してきたとき、彼はいったいどんな気持ちだったのか。あのときすでに自分の命の残り時間が限られていたことを知っていたなら、それほど親しい付合いではなかったにしても、彼の青春の一部分に登場するであろう僕の名前をFBの中で見つけて、彼は僕に何を期待していたのだろう。

 

逆に僕がもし、このとき彼の病気を知っていたとしたら、僕は多少無理をしてでも時間を作って彼と会ったり、また一緒に阪神戦を見に行く算段を練ったりしただろうか。でも果たしてそれは、彼が望んでいたことであったかどうかはわからないし、むしろ彼の控え目な性格を考えれば、少し違う気もする。

 

思うに、多分彼は、単純に僕の名前が懐かしかっただけなのだ。それ以上でもそれ以下でもなかったのではないか。だから僕は懐かしい名前の知り合いに挨拶されて、必要以上でも以下でもない挨拶を返した。きっと、それでよかったのだ。

 

僕がまだFBにとどまっていれば、この先にも似たようなことがまた起きるかもしれない。いや、今度は立場が逆になって、僕が懐かしい名前にちょっと連絡を取りたくなってしまうことがあるかもしれない。まあ、実を言えばすでに2、3人、そういう名前はFBの中で見つけてしまっている。ただし僕の場合、その名前は全員女で、それぞれ青春時代の懐かしい思い出であると同時に、一抹の苦さと切なさを伴った名前でもある。

 

もしも僕が死病に取り憑かれたとわかったら、まず真っ先にFBを退会することにしよう。余計な誘惑にとらわれることなどないように

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