忍耐期間、終了(^_^;)
別に誰にも喧嘩売ってません。テレビの話です
とりあえず一週間、我慢して見てみたけど、朝ドラ『マッサン』視聴終了。正確には第1話から水曜くらいまでかな。前作の『アンがどーしたこーした』みたいな話は、一応僕が第1話から金曜まで。妻はそれでも何とか頑張って4月から7月くらいまでは見ていたから、まあ、前作よりもペースはやや速かったなと。言うても、確か『梅ちゃんなんたら』なんてのは僕も妻も1話で見るのをやめたから、それよりはましだったか。
いや、そんな、どこまで耐えられるとか、耐久力を測るドラマじゃないしね、そもそも()
『マッサン』は、正直言って僕は期待ポイント多かった。ドラマのおかげでニッカの創業者夫妻に興味を持ち、Wiki程度の情報で申し訳ないけど、さわりだけでもと調べてみて、ああ、本当にこの夫婦ならドラマにしたらおいしいところいっぱいありそうだなと、けっこうね、予告編見たときはわくわくして、中島みゆきの歌がバックに聞こえてくるだけで涙腺がじ~んとゆるんだりしたものだ。
それだけ期待させておいて、第1話を見た。あえて言おう。カスであると。
まずはこのドラマ、冒頭すでにヒロインが死んでるシーンから始まる。
こういう手法があることは否定しない。連続ドラマで中身に自信がない場合など、まずは派手目のシーンからとか役者もそろえて一番おいしい場面からといった具合に、客寄せのこけおどしにもよく使われる手法なので驚きもしない。NHKの大河ドラマなんかじゃ半ば常態化した手法でもあり、確か前作の『アンがどーした』も冒頭は東京空襲でいきなりヒロインがアンの原書を持って逃げ出すシーンから始まっていた。
でもさ、このドラマはこれから一体何を描こうとしてるドラマなのよ、てゆーか、この第1話を見ている客は、いま何を期待してテレビの前にいると思ってるのよ。少なくとも僕は単なる日本でウィスキー産業を成立させた男の立志伝を見たいとは思ってない。それよりも、苦難にも挫折にもめげず、自分の夢の実現に向かって人生を進む男と、それを支える女性の感動的な愛の物語、といったあたりを、まずは一般的なラインとして期待したいわけだ。
そのヒロインがもう死んでるという場面から始まるのは、そんな視聴者にとって、テンション下がること極まりない。もちろん主役はヒロインではなく、久々に男が主人公に設定されていることはわかる。ただし、この冒頭場面によってそれをことさらに印象づけると、それはただの『プロジェクトX』の長編ドラマ化みたいになってしまう。別にそういうドラマもあっていいけど、そういうのは土曜の夜9時くらいからやりゃあいいじゃん、と思ってしまう。
愛の物語としてあのドラマを見たかった僕に言わせれば、あんな場面から始まるのは完全に間違いだ。あれは最終回でやるエピソードだろ?
しかも、それまでにこの夫婦がどれほどの苦難と挫折の波に出会い、そのたび外国嫁が主人公を叱咤激励し、夫婦で助け合いながらそれらの試練を乗り越えてきた、という記憶を十分に視聴者と共有できるようにしておいてこそ、ついに成功の果実を手に入れたとき、それを共に喜ぶべき妻の姿が隣にないということに、どれほどの視聴者の涙が絞れることか。それを何にも見せずに、いきなりヒロインが亡くなっていて、主人公だけが何かの記念式典に出てると。そこで泣けるほど、僕は想像力豊かではない。
まあ、仕方ないや。ヒロインが死んだ後のシーンから始めるということは、このドラマはもう、このマッサンが主人公でこれから彼の一代記を始めますよ~という意思表示かと思いきや、何だっけ、次のシーンではいきなりマッサンとヒロインの楽しそうにいちゃつくシーンみたいなの入れて、ほら、よくあるお花畑の中をきゃははっと笑いながら手を取り合って走るような、あんな感じの、でまあ、ナレーションが入って、これはこの二人の愛の冒険の物語である、みたいな。
もう詳しく覚えてないから正確じゃないけど、とにかくこんな感じで、何とこのドラマ、これがどういう物語であるかということを最初にナレーションで全部説明しちゃってる。僕がシナリオ学校の生徒でこんな台本書いたら、きっと講師につるし上げくらうだろうな。
もう、いちいち言うのも何だけど何か火がついてきちゃったんでね。ナレーションで物語の説明が入った後、オープニングで中島みゆきの歌が流れるわけだが、予告編ではみゆきさんの歌が盛り上がりシーンのバックに流れてるだけで泣けてきたのに、もうこんな始まりだから、全然のれない()。あ、のれなくて泣けてきたかも。で、本編が始まると、マッサンがヒロインのエリーだっけ、彼女を連れて実家のある田舎に帰ってきたところから入る。
僕は思わず、そっからかよ! とテレビに突っ込んでいたね。だってこれ、運命の夫婦の話じゃないの? と僕は思ってたから。そりゃ長期にわたるドラマの場合は、構成の配分にかなり気を遣わないと難しいだろうから、全体の配分上、二人が帰国したところから始めざるを得なかったと言われれば仕方ない。だが、その後の展開、一週間近く見てみたけど、そんな必然性ないだろよ。ピン子のいびり芸を見せる暇があるなら、やはりこれはスコットランドで二人が運命の出会いをした瞬間から描かないともたないと思うぞ。
だってこれは何度も言うように、二人が次々と訪れる試練を固い絆で乗り越えていく展開になるはずだ。だとすれば、その絆はどうして生まれたか、どれほど強い絆なのか、運命の相手に出会った瞬間とはこの夫婦の場合どういうものだったのか、それをまず視聴者に見せておかないと、エリーが頑張る動機に視聴者は感情移入しにくいだろう。
そのためにはたとえ1週だけでもいいから、マッサンが留学したスコットランドで二人がどんな恋愛をしたのかを描くべきだった。僕はまずキャラありきみたいなドラマは否定的だが、ここまでキャラを立てずに重要な展開を始めてしまうドラマも、ある意味いい度胸してるとは思う。
あとは、これも第1話の冒頭の方だけど、家の前まで帰ってきたマッサンが番頭に呼び止められてあからさまに顔を鞄で隠して通り過ぎようとする小芝居とか。だったらこいつは何のために故郷に戻ってきて、エリーとどこに泊まるつもりだったのか、造り酒屋の跡取りが田舎に戻って隠れていられると思ってたのか、つまりそういうことすべて計算し、視聴者に納得できる説明をした上でなければ、ただのコントじゃん。
『カーネーション』だって大笑いできる場面はいっぱいあったが、それらはすべて作者が緻密に計算した物語の展開による必然性とキャラ立てにのっとった上での話だった。単に小ネタで笑いを取りに行こうとしているだけの脚本はすぐにわかる。そういう本を僕は、安いと言っている。いまの日本のドラマ、とにかく安い脚本が多すぎる。
ご都合主義の多用も、安い脚本の特徴である。このドラマもご多分に漏れず、細かいことを言い出せば、もうグロス単位であげられそうだ。日本のドラマでリアリティがどうこうなどというのは、もう野暮としかいいようのないことだが、せめて人間の感情くらいは、人はこういう思いになることもあるかと思わせるような描き方をしてほしい。コントみたいな芝居ばかり役者にさせてないでさ。僕は地キャラとして好きなタイプの役者さんではないのだが、このドラマ、泉ピン子のみがさすがの存在感を保っている。
でも、別に朝から泉ピン子を見たいと思ってたわけじゃないし
まあ、そんなこんなでね、今期も朝ドラは外れでしたと。もう半年待って、その新作も外れたら、また当分朝ドラには近寄らなくなるかもね。
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