神戸のおじいちゃんはかっこいい
思いついたことを思いついたときに思いついたまま書いていくことにする。
先ほどネットの話題で知ったが、先日、NHKの番組でゲストに呼ばれた宝田明さんが、戦争をしようと考えるような人間に投票してはいけないという意味のことを言って、司会のアナウンサーを慌てさせたそうだ。僕はあいにく未見で、正確にはどんな発言をされたのか細かいニュアンスまではわからないが、でも宝田さんが言いたいことは、まともな頭と心を持った人間なら誰だってわかる。
このまま安倍政治が信任されてしまうような流れ、さらには間違っても安倍政権がさらなる力を得て、いよいよ自分のやりたいようにこの国を作り替えてしまうような流れには決してならないようにと、そんな不安な気持ちがああいう言葉になったものだろう。先だって亡くなった文太さんもそうだが、それほどいまのこの国の雰囲気は、本当の戦争を経験した大人たちにとって、抜き差しならない危機意識を感じるようになっているらしい。
あるいは文太さんが先に亡くなったことで、同世代の宝田さんもなおいっそう、残された者が言うべきことは言っておかねばという気持ちを強めておられるのかもしれない。だからわざわざ、生放送の収録にあらかじめ狙いをつけていたのではないかとね。だって、やはり安倍政権に牛耳られてしまったNHKにしてみれば、そういう不規則発言は担当者の始末書問題になってるかもしれないからだ。そう考えるとすこぶる痛快な話でもあるが。
同じように戦争を知るはずの大人で、多分本人も宝田さんや文太さん同様、言うべきことは言わねばという気持ちなんだろうということは認めてもいいが、その方向が戦時中のぼんぼん育ちだった津川雅彦あたりの最近の言説の無様さと比べると、まさしく雲の高みとぬかるみの泥ほどの違いに、僕などは感じる。だって宝田さんや文太さんの言ってることはシンプルで、爽やかだ。
おおむね僕が正しい言説を判断するときの一つの基準に、その言葉はシンプルに僕の胸に届くかどうかということがある。正しい言葉は、たいていシンプルで静かである。やましいものを抱えていたり、どこか他人に疑念を生じさせるような理を人に説くための言葉は、説明が複雑で、時に大声や居丈高になる。声のでかい奴の言葉は、あまり信用しない方がいい……と言ったら、じゃああんたの言葉が一番信用でけんと答えたのは妻だったが
文太さんも宝田さんも、いい生き方をされてきたのだろうなと感じる。そういう年の取り方はかっこいいだろうなとちょっと憧れたりしてね。還暦近い男が80過ぎた爺さんを見ていまさらかよと思われるかもしれないが、日本の男の精神的成長は昔に比べて20年くらい遅れてきてるそうだから、ちょうどいいんじゃないか。
宝田明の演技で一番最近の記憶に残っているのは、『カーネーション』で主人公糸子の母方の祖父であり、神戸の資産家として糸子たちに惜しみない愛情を与えていた「神戸のおじいちゃん」役であった。さすがの貫禄と、もう津川さんあたりには望むべくもない、内側からにじみ出るような人間的な上品さが、あの役にぴったりとはまっていた。
ついでにいまふと思いついたから言うけど、僕はね、健さんよりは宝田さんや文太さんの方が、僕のイメージするアルムおんじに近い気がするんですよ>Tさん()
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コメント
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はい。
オンジは孫によって笑いを取り戻したりして大きく変化をとげ、うじさんの言うようになったと私は思います。
寡黙で何処かを睨んでいるような最初のオンジは、私はやっぱり健さんが近いと。
私、50歳になり、若輩者を相手して貰えるのは嬉しい限りです。
投稿: Takaishi | 2014年12月 9日 (火) 04時55分