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彼らは何に「ふるえ」たのか!?

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先週の金曜は、多分国鉄の電車で降りるのは初めてかとも思うのだが、県内の石山という駅に行ってきた。

 

なんでそんなとこへいきなり行ったかというと、例のSEALSという団体の主催によるデモが、ついにここ滋賀県でも行われるというニュースを知り、だったら話のタネにぜひぜひ見に行こうと、その動機のために珍しく、この数年来ずっと〆切より遅れ続けている仕事を1日だけ早く仕上げ(それでも本来の〆切より2週遅れ())、電車に飛び乗ったからだ。

 

ちなみに、車で出かけなかったのは、もしかしたらデモが終わった後に、駅の近辺にうまそうな店でも見つけたら、飲んで帰ってくることになるかもしれないという可能性を考慮したためでもある()

 

SEALSの主張や活動内容に関しては、もう多くの人が知っているだろう。この団体の特徴は、彼らが基本的に学生を中心とした若い活動家によって組織されているらしいということだ。実際、デモをとりまとめたり、メインとなるスピーチをする人間は、いかにもな若い男女たちで、僕は実体験としては知らないけれど、もしかしたらおよそ半世紀前、大学で数々の社会的不正に対して怒りの声をあげる形で始まった学生運動などの黎明期は、こんな感じだったのだろうかとも思う。

 

あの当時の雰囲気と少し違うのは、昔の学生ってのはやっぱりまだ社会的にはエリートの一種で、しかもちゃんと学生の本分を果たそうと勉強していた人も多かったから、とにかく演説が難しかった。社会学的な用語や独特の言語センスで作り出された造語、後には共産主義運動で使われる用語なども頻発されるようになり、小学生や中学生当時の僕がそのスピーチの断片を聞いても、おそらく1割も理解することはできなかったろう。

 

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その点、SEALsの集会で、ピールケースの箱をひっくり返して上に立ち、マイクを握る男の子や女の子のスピーチは実にわかりやすい。あえて口の悪い言い方をすれば、一番頭の悪いところに合わせてきてるというか、つまり自分たちの感覚、感情を元にした論の立て方だから、そこが強みでもあれば弱みでもある。もちろん、たとえばネトウヨの頭の悪さは群を抜いているから、彼らに理解されることなど到底ないだろうが。

 

ついでに言えば、多少意地悪い大人になってしまった僕なんかも、もちろん彼らのスピーチを個別に聞けば、そこは少し違うんじゃないかと思う部分もあるし、そこはもう少し突っ込んで訴えた方がいいぞ、なんて具合に、つい批評的に聞いてしまうところがある。それでも僕が彼らの運動をいっぺん間近で見てみたいと思ったのは、彼らの主張である自民党による安保法案の成立阻止というお題には、完全に同意するからだ。

 

彼らは僕の息子や娘のような世代だが、これまで日本の若者は自民党のおかげでどんどんバカになる一方であり、遠からずこの国は滅ぶわ、仕方ないね、ははは、と力なく冷笑していたのが、俄然、SEALDsや、さらには他にも学生たちが中心となって広がる護憲、護良識、護道徳(これらはすべて「反安倍」と言い換え可能だが)の動きを見て、この国にもまだ希望は残っていたのだと、恥ずかしながら認識を改めた。

 

だったら応援しなきゃだろ。少なくとも僕は、彼らの行為にはいかなる意味でも水を差すようなことはしたくない。

 

最近はさすがにSEALDsの話題が広まることに危機感を覚えてきたのか、自民党のチンピラ議員や、自民を支持するらしい本物のチンピラがデマや中傷を加える度合いが増えてきているが、それは彼らの焦りそのものだろう。誰一人として彼らの主張の何が問題なのかに反論できないから、感情的なデマを意図的に流すのである。小学生が、相手をまともに論難できないから、おまえの母ちゃんデベソッ! と叫んでいるようなものだ。

 

もちろん僕らはデモや集会に参加しただけで、何か自分の中の禊ぎを済ませたような気分になるわけにはいかない。そこはむしろ出発点であり、それこそデモに参加するという行動を一つの契機として、では自分はこれから日々の生活の中で、この国のために、この美しい国の自由と民主主義を守るために何が出来るのかということを、考えてみようかと思っている。少なくとも世の中がどうあろうと、己の正気を保つ方法だけは確保しておかねばなるまいよ。なんてね。

 

人にそんな風に思わせるという意味で、だからSEALDsには感謝できる。そう言えばこの夜、集会に行って一番の収穫は、この一連の反安保キャンペーンが巻き起こる、ほとんどきっかけになったとさえ言えるのではないかと思われる、まことに有名な例のキャッチフレーズ、

 

「戦争したくなくて、ふるえる」

 

って、いうコピーの意味を知ることが出来たことだった。

 

あれは、当初僕も「大人として」、ちょっと違和感のあるコピーでね。僕の友人にもネトウヨみたいなことを言う男はいて、もちろんそのことだけを除けば全体的にはいい奴なので付き合ってるという人間は何人かいるのだが、その中の一人が僕の目の前で、そのコピーを徹底的にバカにしまくっていた折、僕はある程度同意して、何も言えなかった。

 

確かに、いくら「子どもが」作ったコピーだとしても、ちょっと叙情的に過ぎるというか甘ったれた舌足らず感覚というか、彼らが戦いを挑もうとしているものに対して、その少女漫画感覚ではどうよと僕が思ったのは事実である。(あとから考えてみれば、むしろその引っかかりは意図的に組み込まれたものではないかという疑惑も沸いてきたが。そのおかげであのコピーが人口に膾炙し、反安保法運動の広がりに一役買ったのだとすれば、あれは往年の糸井重里もまっつぁおの名コピーといえるかもしれない)

 

多分、あのコピーをバカにしたい連中は、みんな同じ誤解をしていたんだな。僕は石山の集会で、最後にマイクを握った女の子のスピーチを聞いて、すべてが腑に落ちた。その子はスピーチの終盤、安倍内閣が成立させようとしている安保法案の問題点を具体的に羅列した後、どれだけ安倍が否定しようと(実際、安倍は息をするように嘘をつくから、あの男が何度「絶対に」と否定したところで、それを信じるのはただの「あほ」だけだろうが)、とにかくこの国が「本当に戦争に巻き込まれる可能性」が高まったのは間違いのない事実であり、そのことを指摘した後に、おおよそこのような内容のことを言ったのである。

 

「私はいま、この国がかつてないほど戦争に近づいており、そしていったん戦争が始まれば、それは否応なく私たち自身も戦争に参加させられるということであり、その意味で私は、戦争なんかしたくなくてしたくなくて、全身が怒りにふるえています!」

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その「ふるえ」なら、確かに僕も共有できるよ。

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